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代表者ごあいさつ

木村沙弥香(きむらさやか) プロフィール

資格

精神保健福祉士

JADP認定メンタル心理カウンセラー

JADP認定上級心理カウンセラ-

WRAPファシリテーター

経歴

1995年3月 北海道立深川東商業高等学校卒業

2019年3月 東京福祉大学通信教育課程 社会福祉学部卒業

2015年~2019年 放課後等デイサービス勤務

2019年~2020年 児童発達支援勤務

2020年~2023年3月 就労移行支援勤務(サービス管理責任者)

ごあいさつ

木村沙弥香(キムラサヤカ)

北海道に生まれ、高校まで、片田舎で過ごす。町に一件の保育園、小学校は真冬の猛吹雪時も、バス停まで15分歩いて路線バスで通うという過酷な幼少期を過ごす。(夏は片道5キロくらいを自転車で)

「学校が遠い!!」学校嫌いな幼少期。毎朝「お腹痛い」と言ってみるものの、厳しい母には通用せずに渋々学校へ。当然、勉強も嫌いで成績は下の方。

 【子供の時の私】

3歳児検診時より「ぽっちゃりさん」だったため、良くも悪くも目立つ子供。大人、子供の両方から「いじり」や「からかい」も多かったが、内気で人見知りの性格のため、ただただ耐えるのみ。中学時代はいじめも経験する。(突然始まって、突然終わった感じ。今思えばなんだったの?何したかったの?と同級生に聞きたい)

家族との関係は幼少期よりあまり良くない。父方の祖父母、父、母、弟の6人家族。癖のある祖父母、子供に興味を示さない父、ちょっと毒親傾向の母、5歳下の弟。いつも思っていた事は、母に褒めて欲しかった。隣町まで学習塾に行かされて、それなりに頑張っていた。でも、上には上がいる。いつもいつでも「アンタはダメな子」「〇ちゃんは明るくていい子。アンタは暗い」「〇ちゃんは〇〇ができる。アンタはできない」友達と比較されるのが日常茶飯事。頑張っても頑張っても自分はダメだと思っていた。母に褒めて欲しかった。今、思えば、私が母の「理想の子供」ではなかったと思う。「容姿が可愛くて、勉強ができて、明るくて、クラスの中心にいる」。まさに、子供の頃の母は「両親に愛されて育って、容姿も本当にかわいい女の子」。私は母が求める子供になれなかった。いや、途中からはならなかった。母は8年前に他界した。未だに時々思う。「褒めて欲しかったな」と。高校卒業後、大の犬好きからトリマーを目指して札幌の専門学校へ。しかし、トリマーになることなく、19歳で最初の結婚、息子を出産。

 

【初めての育児。何か変じゃない??こんなに大変なの??】

初めて見る赤ん坊。初めての育児。夜中ずっと泣き叫ぶ息子。

『赤ちゃんが喜ぶ』『赤ちゃんがぐっすり寝る』そんな売り文句の育児グッズが全く通用しない。オルゴール音に火をつけたように泣き叫ぶ息子。授乳時も目が合わずにずっと天井を見ている。そんなこと、どこの育児書にも書いてない。「育児ってこんなに大変なの?」何かが違うと感じながらも流されていく日々。(ぐわ~~~と何かの渦に巻き込まれていた感覚)

定期的に母子手帳を開く。月齢ごとの「できる」項目に全然〇がつかない。1歳半健診、3歳児健診ともに「要注意」で指導が入る。「障害?」「そんなはずない」「個人差はあるじゃない?」「絶対普通の子」そんな葛藤が巡る日々。

しかし、遅まきながら成長していく息子。いわゆる「グレーゾーン」のまま、普通の幼稚園に入園。「変わっている子」「わがまま」「お母さん、もっと厳しくして」何かが違うと思いながらも、たくさんの子供を見ている幼稚園の先生から「障害」の言葉が出ないことに、どこか安心していた。幼稚園年長の頃、知り合いの勧めもあり、地域療育センターへ通う。「自閉症の疑い」とのこと。「疑い??じゃあ、自閉症じゃないの??」疑問を残しつつ(当時特有の曖昧な表現)体のアンバランスのためにとのことで作業療法士さんの療育に月1回通うことなった。

特に療育の成果が著しく出たわけでもなく、小学校入学前に「高機能自閉症」の診断をもらい、何となくそのまま地域の小学校の普通学級に入学。座っていられずに、教室を走り回る息子。特殊学級(今でいう特別支援学級)のない学校だったため、学校ぐるみで「こりゃ大変な子供だ」状態。時には校長先生、教頭先生も巻き込み、職員室の手が空いている先生をみんな巻き込み、どうにかこうにか授業を受ける。教育委員会からは、隣町の特殊学級がある小学校への転校も勧められたが(というか、さっさと行け)私が「地域の学校に歩いて通いたい」ということに何となくこだわってしまい、2年生まで普通学級で過ごす。小3の時に特殊学級が併設され、転校することなく、卒業できた。

息子はそのまま中学を特別支援学級で、高校は全寮制の養護学校(特別支援学校)で過ごす。高校の頃には、これまで関わって下さった方の熱い厚い支援のおかげで、ちょっとした優等生に。クラスの中心人物になり、学校祭では劇の主役に。生徒会の副会長も務め、卒業式ではクラス代表の挨拶も行う。その後は私と一緒に北海道を離れ、埼玉県で色々な方の手を借りて一人暮らしをしながら、就労移行支援サービスを2年間受け、障害者雇用で学校の事務補助として勤務。只今 無遅刻、無欠勤で勤続7年目・・・。一人暮らしも継続中。自炊して、自分で身の回りの物を買い足すなど、生活も上手になってきた。※ここまで立派に育ったのは、熱い厚い支援者の方々のおかげです(涙)

【木村 本人の紹介に戻ります】

一方、私は・・・最初の結婚時に函館に移住し、18年間過ごす。専業主婦~飲食店でバイト~パン職人として生計を立てていた。息子が小5の時に離婚を経験し、朝4時半からパン屋で働く毎日。息子は電話で起こして、一人で朝食を取り学校へ。(よくグレなかったね・・・感謝!)

個人経営のパン屋さんで、最後の4年間は店長も経験させていただく。パン屋時代も何かと障害児者の方との関りが多く、ぼんやりと「障害者と関わる仕事がしたい」と思うようになる。しかし、仕事と家庭に追われて実行はできず。

その後、ご縁があり、今の主人と知り合う。再婚し、埼玉県に移住。「仕事どうしよう・・・」と考えた時に、とりあえず「介護初任者研修」を受けに行く。その後、精神保健福祉士を目指して通信大学に入学し、4年で卒業。資格取得。その間の学費稼ぎとして、放課後等デイサービスでアルバイト。小1~高3までの知的重度の方がメイン。息子を育てた経験があまり役立たない過酷な職場。(でもここでの経験が色々役立っていると思うし、思い出も深い。)

その後、児童発達支援、就労移行支援を経験。就労移行支援ではサービス管理責任者を務める。うつ病、統合失調症、双極性障害、ADHD、ASD等の様々な精神障害、発達障害の方々のケースにスタッフと悪戦苦闘する毎日。その頃、不眠がひどくなり(眠れないのは保育園の時から)初めて心療内科の門を叩き、今も通院中。

 ※もちろん自分も含めてですが、何かと生きづらい毎日。「誰かに話したい」「誰かに聞いて欲しい」そんな方たちが、もしいれば話してみたいな・・・そんな思いがかけ巡り「カウンセリングルーム 星のいろは」を開設しました。

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